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2007-05-24 Thu 00:19
「相馬さんって、誰?」 この台詞が『このライトノベルが凄い!』の、2005年の作品を取り上げたものの名言集にでかでかと示されていて、笑った記憶があります。 実際に読んだ時は、驚きを交えたワクワクが止まらなくなって「続き超きになるぅぅぅぅ!!!」って友人達と話してました。 病的な電波少女とクールなツンドラ少女、そしてノリとテンションだけで突っ走るような少年の織り成す恋愛模様は結果的に、落ち着くところに落ち着きます。 というか、Only1の勝利ですね。あの子にとって主人公は、たくさんいる男の1ですが、この子にとって主人公は、たった一人の運命の人のようなもので、その強さの違いが結果に現れたような、そんな感じなのかな。 どっちも可愛くて、どっちも恐らく、人気的に捨てがたいとは思いましたが、竹宮ゆゆこ女史はスパッと決めてくれました。 その確かさは、読者にとって、とても安心できるものです。 でも見習いライターとしては、とてももったいないなぁなんて考えてしまったりしましたよ。 エンターテインメントとして読むのなら、とても素晴らしい作品だと思います。 |
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2007-05-23 Wed 20:42
衝撃だったと言っていいかもしれない。 特に今の私には。 今のご時勢としては、ちょうど名古屋における立て篭もり事件が終わった頃。 私はその事件を、完全に被害者、としての警察殉職者の視点で見ていた。 不意に奪われた命。不運と言ってもいい、発砲者の適当な銃撃と、被弾者の立派な装備。 その上で失われたSATの命を、私は涙を流すほどに悔やんでいた。同じくらいの歳だから、唯それだけの関係性ではあったけれど。 だが、この『バニラ』という小説は、特に加害者の視点で動いている。 女子高校生という未成年、見合う無計画、見合わない射撃技術、一般から見れば異常な愛情。 その二人の物語に、感動している私がいた。 一週間前とは逆の立場への感情移入。 この理由は、もしかしなくても人間の魅力にあるのだろう。 以前と今、二つに共通するのは同程度の若さと未来、今回違うのは、加害者側の理由。 中谷という中年の警察官が描かれていたのだが、その彼ならば、きっと一生忘れない、戒めとなるような、理由。 彼の持つ崇高な理念、それの、実効力の無さ。 罪は償われなければならない。 彼女達に付けられた傷は消えるものでもなく、今でも膿を出し続けている。 その前に、自分という人間の持つ力は、どうして少ないのか。 拳を、唇を血が滲むまで痛めつけても、やりきれない「後もう少し手が長ければ」と思わずにはいられない、無力感。 それを、読む私も味わわされた。 助けられなかったものなのか。 他の方法は無かったのだろうか。 幸せな、二人が殺しをせずに済む方法は無かったのだろうか。 模索せずにはいられない。 願わくば、彼女達を、全ての悲しい連鎖から逃がして欲しい。 きっと彼女達が逃げたかったのは、警察なんかじゃなくて、環境なんだと思う。 しかし、その環境が無ければ彼女達は出会わなかったわけでもある。 悲しい環境ゆえ、出会った二人は互いが不可欠の存在となった。 互いに互いしか存在しなかったから、互いを守るため、なんでもした。 そんな彼女達にとって、どうでもいい社会と、お互いは、きっと天秤にかけるまでも無かったのだろう。 その選択は、とても悲しい。 だから私は祈るしかない。 どうか、彼女達を、逃がして、と。 |
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2007-05-23 Wed 04:45
これは今書いている小説の、序となる文章。 投稿予定があるので、じきに消すかもね。 ◆ 序 ◆ ミステリック 『事実は小説より奇なり』とは、一体誰の言葉だったか。 私はそんなことは知らないし、それに、知ったからと言ってどうだというわけでもない。問題は、その意味だ。 事実よりも小説は奇妙ではない。それは確かにそうかもしれない。小説には作者がいて、作者が書き上げる。つまり神が作者で作者が望むものを描き出すのだ。つまり、一面的といっていい。そこには別の作者の干渉は加わらないし、もし作者自身にそれが加わったとしても、それは作者に対する影響で、小説自体にはほとんど影響しない。精神状態がそのまま小説の支離滅裂さに繋がることがあったとしても、それはその小説にとって、その結果しかないという点で、やはり一貫しているといえるだろう。 現実はこうはいかない。私達には、私達の世界を動かすこの因果が誰がの作った論理なのか、はたまたただの偶然なのか、それすら分からない。日々それを知ろうと何千何万何十万の学者達が頭をひねり、首を傾けているが、見えるのは表面的なことだけで一向に分かる様子もない。 さて、そこで私は思うのだ。より普通なものとは、小説と現実の、一体どちらなのか。今までの論法からすれば小説であると言えるだろう。 つまり小説こそ、現実の何よりも普通な、より奇妙ではない世界なのだ。何故なら、全てが想定の範囲内であるからだ。だが現実には謎だらけのミステリーや様々なファンタジーやフィクションと呼ばれるようなエキセントリックでミステリアスな過激な設定を上回るものがしこまれていてもおかしくない。それが無いとは誰にも言えない。 これは何故か。それはミステリーやファンタジーの持つ一種の発展可能性によるものだ。ミステリーは解かれてしまえばトリックとなる。ファンタジーは科学によって成されれば技術となる。この境界移動による名称の変更が可能である時、私達はそれらを無碍に否定することが出来ず、可能性で話をせざるを得なくなる。つまり、それらミステリー、ファンタジーの存在する可能性が認められるのだ。 その意味からすれば、小説におけるミステリーは『ミステリーみたいなもの』。一見ミステリーのように見えるよくできたロジック。本物のミステリーには解ける可能性しかないのに比べ、それは必ず解けるというだけで、簡単であると言える。 ここで一つ問題が生じる。 それは、どうすれば現実に存在する、解けない謎を、ミステリックではなく、ミステリーであると認定するのか、だ。ミステリーのミステリーたる所以は、解けないことにあり、しかし解けない謎は、いずれ解けるかもしれない可能性を内包し続ける。 その謎を解く力を手に入れるまで。 |
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2007-05-23 Wed 04:41
この話は、私は泣けます。 主人公の覚悟に、その甘さを知る、もっと辛い覚悟を強いられた大人たちに、そしてその人物達の織り成す物語に。 この話は、私は好きです。 辛い現実の前に、膝が折れそうになりながら、それでも必至に前に進もうとする少年達の不屈の、純粋な力強さに。 だけど、この話はきっと、人を選ぶと思います。 少年、本当に少年だと、これは読めないかもしれない。辛い現実ばかり見て何が楽しいんだと、思ってしまうかもしれない。日常が、少し面白いかもしれないけれど、ただそれだけじゃないかと、思うかもしれない。あとは、出てくるネタが少し古くて、ついていけないかもしれない。 最後のは心配しなくても、二十代前半の私もついていけない、恐らくその道のマニアじゃないと分からないもの。往年のプロレスとか。 人を選ぶかもしれないけれど、それでもいつか、読んで欲しい。 私にとって、コミックで言う『最終兵器彼女』の位置づけに近いかも。 いつか、若すぎず、かといって歳を取りすぎないうちに、読んで、考えて欲しい。 そんな作品です。 |
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2007-05-23 Wed 04:32
怒涛。 この一言に尽きる。 展開が、まさに嵐のように、間断なく吹き付けてきます。 息つく暇も無いので、推理なんて出来ないかも。一応考えてみることは出来ると思いますが、読みながらやるとなると疲れそうなので、私はしません。 あまりそういう作業が必要でなかったり。てか1クラス分のキャラの把握をこの段階でしろといわれても、常人には無理というもの。 というか、なれない人だと、読んでいて疲れるかも。私よりずっと読みなれている人からすればそれでも大丈夫かもしれませんがね。 あまりの怒涛さに、一時期、途中まで読んで投げ出してしまいましたよ。 詰め込み教育の粋を集めたような作品。 そう思っていただけると、雰囲気がつかめるかも。 まさにholicになります。 |






